先行配信vol.4

 僕は白杖を股に挟んで「おーいおーい」と直人に手を振った。
 直人が走ってくるのが分かる。けっこう離れたところにいたはずなのにあっという間に僕の目の前にやってきた。
 自由に走れるっていいなと思う。
 「よお伸也、久しぶりだな」
 少しハスキーな高い声。声変わりする前はもっと高くて可愛かった。
 「おばさん、ちわっす」
 母さんはウフフと笑って「こんにちは山崎くん」と言った。
 母さんが笑ったのは、声は少し大人になったけれど喋り口調は相変わらずね、と思ったからに違いない。僕も同じことを思った。同い年だけれど僕のほうがずっと大人だなって。
 直人とは一ヶ月ぶりくらいか。近くに住んでいるとはいえ学校が違うからなかなか会えないのだ。
 僕はやあと手を挙げ「久しぶり」と言った。
 「散歩か?」
 「さっきまで公園で絵を描いていたんだ」
 「へえ、今日はどんな絵だ?」
 「桜の花」
 「へえ、うまく描けたか?」
 「どうかな」
 僕はすかさず、
 「あれ、そういえば直人部活は?」
 と問うた。
 直人はサッカー部に所属していてチームのエースだ。むろん僕は直人のプレイを見たことはないけれど観戦しに行ったことは何度もある。
 いつもゴールを決めると真っ先に僕のところにやってきてくれるんだ。
 「春休み中は部活も休み?」
 「いや」
 真顔で首を振ったのが分かった。
 「最近毎日部活だったから今日はじいちゃんの法事だって嘘ついて休んだ」
 僕は直人がついた嘘にびっくりした。直人のおじいちゃんはまだ生きているはずだ。
 「そんな嘘ついて平気なのお? ていうより勝手におじいちゃん殺しちゃダメだよ」
 直人は悪びれた様子もなく、
 「いいのいいの。じいちゃんは北海道に住んでるからバレやしないって」
 静岡に住んでいる相手には確かにバレることはないだろうけれど……。
 「そういう問題じゃないような気がするけど」
 直人はガハハと笑い、
 「じいちゃんが死んだのはこれで二回目」
 直人の冗談に母さんが「あらあら」と呆れた。
 「サボってたら追い抜かれちゃうよ?」
 「平気平気、一日休んだってどうってことねえよ」
 せっかく心配してあげているのに、と僕は思う。直人はいつもこんな調子だ。僕がいくら心配しても説教しても聞きやしない。
 彼のお母さんは相当手を焼いているだろうなと思う。
 「それより伸也、これから暇か?」
 「まあ、暇と言えば暇だけど」
 「これから街のショッピングモールに行って洋服を買おうと思うんだけど一緒に行くか?」
 直人が言う街とは静岡駅周辺を指している。僕たちの住む町は田舎だからお洒落な洋服を買おうと思ったら駅前に出るしかないのだ。むろん僕は洋服なんて何だっていいから、いつも母さんが選んだ物を着ているのだけれど。
 僕は迷わず行くと言った。母さんにいいよねと訊くと「行ってらっしゃい」と言ってくれた。
 僕たちの住む町から静岡駅まで電車で約三十分。最寄りの駅に行くのにだってここからだと十五分はかかる。
 目の見えない僕にとっては大冒険だけれど、母親にしてみれば心配でたまらないと思う。それでも母さんが了承してくれたのは直人が僕の介助や扱いに慣れていると知っているからだ。
 「シンちゃん、これ電車賃とお小遣い」
 母さんは僕に三千円を渡してくれた。日本の紙幣は大きさが違うから触ればすぐに分かる。
 「じゃあ直人くんお願いね」
 母さんの声に不安はない。直人を心底信じている。
 「大丈夫っす。帰りもちゃんと家まで送りますから」
 「ありがとうね」
 僕は母さんのほうを向いて左手を挙げた。
 「じゃあね」と言うと、「うん」と母さんの優しい声が返ってきた。
 「行くべ伸也」
 直人が僕の左腕を軽く掴んで言った。
 僕は直人に身を委ね、
 「出発進行」
 と叫んだ。
 「俺はバスの運転手じゃねえぜ」
 直人はそう言いながらゆっくりと歩き出す。同時に僕も最初の一歩を踏み出した。僕と直人は息がぴったりだ。
 僕は母さんと歩いているときと同様に安心して歩いていられる。

 

先行配信vol.5は11/19(火)の予定です。